ここでは、ルッカース一族のチェンバロの中身について、ごく簡単な説明を行いたいと思います。

はじめに

現在、最も一般的なチェンバロといって、真っ先に思い出されるのは、ルッカース一族に代表されるフレミッシュ・タイプと、ブランシェ一族やパスカル・タスカンなどに代表される18世紀フレンチ・タイプあたりでしょう。

しかし、およそ3世紀にもわたるチェンバロの歴史の中で、これらのタイプは必ずしも一般的なものとは言い難い物があります。

むしろ、これら以外のタイプ、即ちイタリアン‐ジャーマン構造、あるいは横田誠三氏の表現を借りれば、「アーキタイパル」な楽器のほうが主流だったと考えられます。

それでは、これらフレミッシュ‐後期フレンチ構造は歴史的にあまり価値の無いものなのでしょうか。答えは、「否」です。

ルッカース一族はチェンバロ製造の歴史において、革命的な工法を確立しました。そしてその工法はやがて18世紀のフランス、中でもパリのチェンバロ製造業社を席巻したのでした。あたかもそれまでの伝統的な工法を忘れてしまったかのように。

それでは、僭越ながら私がそれらの「革命的」工法をかいつまんで説明させていただきます。

1:床工法か壁工法か

それまで、チェンバロの躯体の組み立ては底板(=床)からはじめるのが一般的でした。そこに「ニー」と呼ばれる三角板を 立て、それで側板(=壁)を支える構造です。即ち、弦のテンションを受け止めるのは主に底板が担い、側板には補助的な役割が与えられている程度でした。こ れが「床工法」によるチェンバロです。

ところが、ルッカース一族の場合、躯体はまず側板から組み立てられます。そこに各種の「突っかい棒」を取り付け、響板を 張り込んだ後、最後に底板を取り付けます。結果、弦のテンションを受け止めるのは底板ではなく、側板の仕事となります。これこそルッカース一族の「革命 的」工法です。(このページトップの写真をご覧下さい)この方法ですと、従前の方法に比べて組み立てが非常に楽になり、且つ精度も出しやすくなります。

結果、製造効率は飛躍的にアップし、現存する楽器を見ても判るとおり、実に膨大な数のチェンバロを製造することに成功し たのです。現在、ルッカース一族のチェンバロは100台近く残っており、3世代60年の間、1000台を超えるチェンバロを製造した、とも言われていま す。(この数にはヴァージナル等も含まれる)


2:かくも多くの突っかい棒

この写真をご覧下さい。響板と底板を取り付ける前の躯体の様子です。ラヴァルマン(=改造)された楽器をモデルとしているため、オリジナルには無い部材等も含まれていますが、おおむね典型的な「壁工法」の楽器です。

壁同士を結合する多くの部材が見受けられます。これらの部材により、この楽器は弦のテンションに耐えています。

もう少し詳細な写真です。如何にして「突っかい棒」が取り付けられているかよくわかります。

躯体の奥(底板側)の垂直な部材を「ベリーレール」といい、その上方の斜めの部材を「ブレース」といいます。

ベリーレールは底板と接して、楽器全体の骨組みとなり、ブレースはベントサイドとスパインの間に渡され、あたかも建造物の梁〈バットレス〉のように壁を支えています。

3:響板の発想や如何に

響板の裏側です。比較する写真が無いので判りにくいとは思いますが、イタリアン‐ジャーマンタイプ等とは大きく異なります。

イタリアン‐ジャーマンタイプ等は響板のブリッジの下にもリブ(補強材)がある物が数多く見受けられますが、この楽器のブリッジの下にリブは全くありません。即ち、リブによって響板の振動を止めたくない、という発想なのでしょう。

その代わり、というべきか、この響板には4フィート弦のヒッチピンレール(=緒止め)を兼ねた大きな部材があります。この写真の楽器のように、ヒッチピンレールがライナーに食い込んでいる物もあり、非常に丈夫な印象を受けます。

また、このヒッチピンレールは響板を8フィートと4フィートに分割する役目も担っていると考えられます。

これらの理由によって、この響板は必要とされる強度を獲得し、また独特の音色の一翼を担っているのです。

4:「革命」のその後

もう一度全体の構成をご覧下さい。私には非常に合理的な構造に思えます。ルッカース一族は3代60年にわたりこのような 楽器を完成させ、世に送り出しました。結果、彼らは大きな名声と、あるいはそれ以上の財産を手に入れることができました。彼らの栄光は今なお色褪せてはい ません。

 

ところが、一族の3代目、ヨハネス・クーシェが1655年に40歳の若さで世を去ると、彼らの本拠地、アントワープでの チェンバロ生産は急速に下火になっていきます。そして18世紀に入る頃、ルッカース一族の工法はフランスはパリの製造業者たちに受け継がれていきました。 そしてフランス革命に至るまでの間、ルッカース一族の方法は、多少の改良を加えられつつ、フランス、特にパリの製造業者のスタンダードとなったのです。


おわりに

以上、長々とルッカース一族のチェンバロの構造について述べて参りましたが、勉強不足や勘違いなどによる記述の誤りがあるかもしれません。それらは発見次第修正していく所存ですので、ご意見を賜りたく存じます。